人生百年時代を迎える家族に思う
40年程前に見ていた「大草原の小さな家」がNHK・BSで再放送されている。時と国境を超えても変わらぬ人間愛のドラマに心打たれる。先日は、生きているうちに自分の葬式をすれば、何十年も会いに来ない子供たちにも会えるのではないかと一計を案じる老母の話だった。
親元を離れた子とその親にとって、親子水入らずで過ごせる時間は意外と少ない。多くの親はその思い出を宝物にし、子を思いながら人生を過ごす。やがて子は親になり、初めてそのことに気付くのである。
仕事柄、「身寄りがいないので自分の葬式を頼みたい」といった相談が近頃は多い。詳しく聞くと身寄りがないわけではなく「迷惑をかけたくない」のだ。それほど家族や親族の関わりは複雑で多様化している。
長生きしても幸せが増える時代ではないし、子も高齢化する。そこには親子の感情の「すれ違い」もある。いつかは自分も通る道。人生が長くなれば、それなりの備えと心構えが必要になる。
(2019年7月26日掲載)
おひとりさま高齢化社会に
「人生100年時代」と言われるようになってきた。いくら人生100年時代と言われたところで、100歳まで元気でいられる保証はない。介護や支援を受けずに日常生活が送れる「健康寿命」は今でも73歳くらいである。
2040年の鹿児島県は65歳以上の高齢者世帯の44%が1人暮らしと推計されている。非婚化も一因だが、結婚して子どもがいても、頼ることができるとは限らない。夫婦であっても離婚や死別すれば、遅かれ早かれいつかは1人である。年を取り、身体が不自由になったり認知症を発症したりすることは、決してひとごとではない。1人になった時の不安はみな共通である。
人生が長くなる分、他人の世話になる時間も長くなる可能性は大きい。日常の生活や財産の管理、認知症や自分が亡くなった後のことなど心配は尽きない。今では成年後見制度の「任意後見」などの支援制度もある。たとえ1人になったとしても、元気なうちに「信頼できる誰か」を見つけ、あれこれ託しておくことが大切だと思う。
(2019年4月27日掲載)
遺言作成負担減 人生の棚卸しを
数年前に遺言を書き、毎年正月に見直すことにしている。遺言の中でも自筆遺言は、紙とペンさえあれば簡単に作ることができるように見えるが、実は結構大変である。というのは、全文を自筆で書かなければならないので、書き上げること自体一苦労であるし、形式や記載ミスによる無効のリスクが常につきまとう。
法改正によって1月13日から財産目録に限り、パソコンで作成したり、登記事項証明書や預金通帳のコピーを添付したりして作成することが認められるようになった。これは相当な負担軽減につながるので、高齢者にとっても遺言が身近なものとなるに違いない。
これまで遺言の必要性は感じていても、全文自筆が求められることで遺言作成をちゅうちょし、結果的に「争続」につながるケースもあったのではなかろうか。今後は、自筆遺言を法務局で保管してくれるなど一層安心して残せる制度もすでに決定されている。
世は「人生100年時代」である。遺言を「縁起でもない」と言う人もいるが、未来を見据え、家族に思いを巡らす機会とすれば前向きに生きるきっかけや目標にもなる。遺言を書けば新たな発見や心持ちも整理されるので、かえって長生きできるかもしれない。
(2019年1月5日掲載)
土地相続は自分の世代で
24日付本紙ひろば欄に、昨年末から7月にかけて土地の相続登記をしたとの投書が掲載されました。必要な書類は相当な数に上ったはずです。これをご自身でされたとは、本当に敬服します。
投書内容から察すると、おそらく①四人きょうだいが協力的で仲が良い②全員元気で認知症の方などがいない③実家に全員が集合できる④投稿者本人が努力家で時間と行動力がある―などの好条件が重なり、割と短期間で相続手続きが終了したように感じました。
仮に今回の相続を放置し、次の世代に託すようなことになれば、①相続人が多くなる②相続人同士の関係が希薄になる③その分、時間と労力がかかるーなどの理由から話し合いがまとまりにくく、「誰も利用できない土地」になってしまう可能性も大きくなるのではないかと思います。
投稿者の指摘の通り、所有者不明の土地は今や、全国で九州に匹敵する面積だそうです。これによって土地利用が進まず、実質的に「国土が小さく」なっており、経済的損失も大きいといえます。現状を解決する法整備も重要ですが、同時に所有者不明の土地が新たに発生しないよう、一人一人が努力することも必要と感じます。
(2018年9月4日掲載)
夫婦別姓受容する寛容な社会を
内閣府が発表した「家族の法制に関する世論調査」によると、選択的夫婦別姓制度を導入してもよいと考える人の割合は、過去最高の42%であったという。
現行の夫婦同姓制度は、個人のアイデンティティーは元より、経済損失や仕事に支障が生じるといった指摘もある。結婚によって代々続いてきた実家の姓が途絶えるといったケースは、進む少子化によってさらに増えるであろうから、結婚の選択肢を狭める足かせにもなりかねない。その結果、ますます少子化に拍車をかけることになるだろう。
これらを回避する事実婚では、税制や生命保険、別居婚姻費、遺言のない相続などで不利益を被ることになり、経済的ダメージも大きい。議論されている制度は「選択制」であり、国民全てに別姓を強制する話ではない。別姓に反対する人に同姓を選ぶ自由は残されているのである。
人にはそれぞれ事情があり、自己の家族観を他人に押し付ける必然性もない。今日、未婚、非婚、離婚、再婚、晩婚など結婚もさまざまである。夫婦別姓も夫婦同姓も受けいれられる寛容な社会こそ、これからの少子高齢化に対応する、成熟社会と言えるのではないだろうか。
(2018年2月23日掲載)
遺言の書き方選び 慎重に判断を
法制審議会部会は「自筆証書遺言のうち、財産目録はパソコンなどでも作成できる」「自筆証書遺言を法務局で保管できる」等を含む民法改正案を了承したという。
そもそも現行の自筆証書遺言が財産目録を含め全文自筆という厳格な方式を求めているのは本人の真意、真正性を担保するためである。財産を書き出すのが面倒、あるいは無効となるリスクが大きいからと言って、安易な緩和措置はかえって悪用や紛争を招きやすく本末転倒でもある。
ただ、正しく方式に則りさえすれば使い方次第では、遺言の普及に貢献する可能性は大きい。また、現行の自筆証書遺言には、破棄・隠匿・変造等のリスクが付きまとうが、法務局での保管となれば安全性は間違いなく向上するであろう。
最大の問題は、自筆証書遺言であるがゆえに、内容的に曖昧さや欠落、不備、意図不明など「紛争性がないものなのか」という懸念がどうしても残る点である。使い勝手は重要だが、使い勝手さゆえに独り善がりで失敗する危険性も誘因、内包するのが自筆証書遺言である。今後も公正証書遺言の安全性・優位性は変わらないだろうし、専門家の適切な意見を聞いた上での判断が求められる。
(2018年1月26日掲載)